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2人は極めて気があった。
I氏によるとこうである。
再会がもたらしたもの。
終戦直後の混乱期、2人は別々になったが、I氏が東京で起業したことを知って馳せ参じるように入社した。
M氏は実家のビジネスを継ぐことを放棄したのである。
I氏の作った会社は技術者の塊に過ぎなかった。
M氏は、彼らに企業組織としての最低限の常識を説明しなければならなかった。
商家の中で育てられたことがM氏に経営の実学を学ばせていたのである。
こうして自ずとI氏が研究開発を担当し、M氏は経営全般やマーケティング分野を担当するI氏は「そうした彼の教養に私の心を動かすものがあり」と言っている。
技術者としてのM氏に、良き理解者としての性格を見出したのである。
M氏は300年続く造り酒屋の嫡男である。
その商才が、I氏の中に稀有なビジネスの種を直感したのではなかったか。
そもそも、名商家のあととりが、理学部に進んだこと自体が異例であるが、造り酒屋の経営を継ぐことに物足りなさを感じていたのかもしれない。
爆弾の研究を通して心と心の結びつきを深めていった。
HS氏に対するH氏の役目と同じであった。
ただ、H氏と異なり、M氏の実家は商家である。
資金もあれば人材もあった。
Sの成長過程において、これが大きな武器になったことは間違いない。
財務管理のために、昭和年にM合名会社からH氏が「経理担当重役」としてSに転籍している。
M家は、長男の挑戦を全面支援したのである。
M氏のその後の地位を見ると次のようになる。
常務として入社したあと、昭和妬年に専務に昇格。
その後、1959年に副社長に就任し、1971年に社長に就任した。
わずか5年後の1976年に会長に就任し、後任社長に義弟のI氏を指名している。
副社長には、既に実弟のM正明氏が据えられていた。
Sはいつに間にかM家の会社のようになったのである。
これ以降、世間ではM氏をSの支配者のように見ていくことになった。
そのことは、I氏が病死しO氏が社長に就任してからも変わることはなかった。
当時の世評がどのようであったかは、ビデオ規格戦争に敗れ経営不振に陥ったときの過時間以上に及んだ株主総会の質疑記録を見ても、おおよそを窺うことができる。
悪い噂は、好業績のときには陰を潜めるが、業績が悪化した瞬間、人の口にのぼるものである。
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